名古屋地方裁判所 昭和57年(わ)1922号 判決 1989年11月01日
本籍・住居
名古屋市中川区一色新町二丁目一一五番地
建築業(大工職)
浅井豊秋
昭和四年八月一〇日生
右の者に対する公務執行妨害、傷害被告事件につき、当裁判所は、検察官宮本芳孝出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役五月に処する。
この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用中、証人市田正大、同石畑裕作及び同伊東康雄に各支給した分は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和五七年一〇月六日午前一〇時五〇分過ぎころ、名古屋市中川区下之一色町所在の下之一色農業協同組合第二応接室において、被告人の所得税調査を担当していた中川税務署勤務大蔵事務官市田正大(当時三〇歳)が被告人及びその家族名義の預金状況を調査するため右組合を訪ねた上、この目的で同組合の業務課長石畑裕作と会見しているのを認めると(なお、市田は、所得税法二三四条一項三号に基づくいわゆる反面調査をするため右組合を訪ねた上、右業務課長に来意を告げて同組合員における被告人及びその家族名義の預金状況を明らかにするための資料を準備してもらったところ、その後、同課長が右資料の提示について被告人の了解を得て欲しい旨申し出たので、その困難であることを話して右資料の提示に協力するよう説得していた。)、市田の右調査を不当として、同人に対し、「人の財産を勝手に調べやがって何だ」などと大声を出しながら、応接セットのソファーに座っていた同人のネクタイの結び目下付近とワイシャツとを右手でつかんで前後に二、三、回揺さぶった上、同人を右ソファーに押し付ける暴行を加え、もって、右市田事務官の職務の執行を妨害したものである。
(証拠の標目)
一 被告人の当公判廷(第三六回から第三八回まで)における供述
一 第三五回公判調書中被告人の供述部分
一 第一三回から第一八回まで、第二〇回及び第二一回公判調書中証人市田正大の各供述部分
一 第二三回及び第二四回公判調書中証人石畑裕作の各供述部分
一 第二五回及び第二六回公判調書中証人伊東康雄の各供述部分
一 司法巡査作成の写真撮影報告書(検甲第一七号証・弁第三六号証)(ただし、報告部分を除く。)
一 中川税務署長作成の「捜査関係事項商会回答について」と題する書面二通(検甲第五号証、同第六号証)
(弁護人らの主張に対する判断)
弁護人らは、公訴権濫用の主張をするほか、被告人の被害者に対する暴行及び被害者受傷の不存在、公務の違法ないし不存在などを主張して、本件公訴事実をほぼ全面的に争っているところ、争点は多岐にわたるが、当裁判所は、本件審理の結果に照らし、弁護人らの主張のうち、大筋では、被害者受傷に関する主張のほかは、いずれもその理由がなく採用することができないものと判断する。以下に、主要な点につき説明を加えることにする(なお、以下の説示においては、それが「公判調書中の供述部分」である場合も、便宜、「当公判廷における供述」として摘示した。)。
1 暴行不存在などの主張(主任弁護人宮田陸奥男作成の弁論要旨(六))について
弁護人は、被告人が前記市田正大(以下「市田」という。)に暴行を加えた事実などない旨主張する。
しかしながら、市田は、証人として当公判廷において、被告人からまず前記「罪となるべき事実」欄記載の暴行を加えられた旨供述しているところ、確かに弁護人指摘のように、市田の当公判廷における供述中には暴行を加えられていた時間やこれによる受傷の事実など強調あるいは過大に述べていると疑われる箇所があり、その供述の信ぴょう力は慎重に吟味すべきではあるが、これらの点を十分考慮にいれて検討しても、右暴行を加えられた旨供述する部分は、被告人の右暴行時における前判示の発言内容、右暴行時における被告人と市田との位置関係、前記石畑裕作(以下「石畑」という。)が証人として当公判廷で供述する同人による制止の状況などに照らし何ら不自然・不合理とすべき点がない上、とりわけ、同人が供述する目撃状況(被告人の暴行の状況)とほぼ一致していること、石畑の右供述は、同人が前記下之一色農業協同組合(以下「下之一色農協」又は単に「農協」という。)の業務課長という立場にあり、預金者である被告人に不利な供述をしにくい立場にありながら、被告人の面前でこれをしたことなどに照らすと十分措信しうるものと思料される(なお付言すると、市田は、右暴行を受けて立ち上がったところ、被告人から再びネクタイの結び目付近とワイシャツとをつかまれて前後に二、三回揺さぶられた旨供述しているところ、この点に関し、石畑の供述は、必ずしも明確ではないが、その供述全体を通じてみれば、この二回目の暴行の存在については、同人は、むしろ否定的な見方をしていることがうかがわれるのであって、他にこの暴行の存在を裏付けるに足りる証跡もない以上、この点はことを被告人の利益に認定すべきである。)こと、その他、後記するとおり、被告人が犯行前石畑から「農協へ来てもらっては困る」旨言われていたのに、これを無視して下之一色農協に押し掛けて来た状況などを総合考察すると、被告人が市田に対し前記「罪となるべき事実」欄記載の暴行を加えたことは、これを認めるに十分である。そしてこの暴行が、その罪質、動機ないし右犯行に至る経緯、態様などに徴し、いわゆる可罰的違法性を欠くものでないことも明らかである。
以上に対し、被告人は、当公判廷において、右暴行の事実を否認して、「市田の胸を『ちょうらかいとってはいかんがね』の言いながら、左手指先で軽く押したところ、市田が『暴力はやめて下さい』と行ったので、『こんなことが暴力かね』と言って、サイド左手でネクタイの結び目ありたをつかんで押したにすぎない」などと供述するが、右供述部分は、市田、石畑の前記各供述やこれらによって認められる前説示の各状況等に照らし、不自然であり措信することができない。
2 公訴権濫用の主張(弁護人鈴木泉作成の弁論要旨(二))について
弁護人は、本件における警察、検察権力の異常というべき違法不当な捜査権、検察権の行使は、本件公訴の提起が、適正な税務行政の確保とか正当な刑罰権の発動とかを目的とするものとはかけ離れて、もっぱら中川民主商工会(以下「中川民商」という。)を弾圧し、被告人に苦痛を与えて他のみせしめにせんとする違法な目的でなされたことを明確に証明するものであり、そしてその結果、起訴基準をも明らかに逸脱してなされたものであるから、本件公訴は、速やかに棄却すべきである旨主張する。
確かに、弁護人主張のように検察官の訴追裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合のありうることを否定することはできないが、検察官による起訴便宜主義を採用しその広範な裁量権を認めている現行刑訴法のもとにおいては、それは例えば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られると解するのが相当であるところ(最高裁第一小法廷昭和五五年一二月一七日決定参照)、前記した本件犯行の動機、態様をはじめ後記する右犯行に至る経緯などの諸事情に照らすと、それが仮に中川民商に所属しない者によってなされ、かつ、その者が提起された場合であっても、該起訴が明らかに起訴基準を逸脱したものとは考えられないのであって、本件において、検察官が弁護人主張のような違法目的で起訴したとはいえず、また、本件事案の性格、特にその罪質、態様などに照らし、必ずしも軽微なものとはいえないのであって、それが明らかに起訴猶予相当な事案とも認められない(もとより本件起訴が憲法一四条に違反するところもない。)そして本件起訴が叙上説示の実体をもつものである以上、本件の捜査手続において、仮に弁護人主張のような違法があったとしても、それは、その過程で収集された証拠の証拠能力が否定されることがあることは別とし、検察官の公訴提起それ自体の効力を失わせるものでないと解するのが相当である。その他本件において、検察官の公訴権濫用を裏付けるに足りる証拠も存しない。
3 公務の違法をいう主張(弁護人福井悦子作成の弁論要旨(四)及び弁護人岩月浩二作成の弁論要旨(五))について
弁護人らは、本件の反面調査は、その補充性の要件(これに先立って行われた臨宅調査の違法の問題を含む。)ないし必要性を欠く上、仮にその必要性があったとしても極めて稀薄であり、これと下之一色農協の私的利益(事前通知や調査方法などに関するものを含む。)との利益衡量や被告人の利益を考慮すると、それは、下之一色農協の私的利益、被告人の私的利益、基本的人権を社会通念上許されない限度まで深く侵害するものにほかならず、違法であることが明らかである旨主張する。
そこで前掲関係各証拠に証人石田康司の当公判廷における供述などを加えて検討すると、以下の事実を認めることができる。
(一) 被告人は、昭和三〇年ころ大工見習から独立して大工となり、以後、昭和五九年ころ会社組織にするまでは個人で建築業(大工職)を営んでいた者であるが、昭和五五年三月一三日に昭和五四年分として所得金額三五三万二〇〇〇円の、昭和五六年三月一三日に昭和五五年分として所得金額三三三万二〇〇〇円の、昭和五七年三月一二日に昭和五六年分として所得金額三八五万六八〇〇円の各所得税確定申告書を中川税務署長宛に提出した。なお、被告人の所得税申告の様式は、白色申告であり、また被告人は、昭和五〇年と昭和五四年との二回、臨宅調査を受けたことがあった。
(二) 市田は、昭和五七年七月一三日ころ、中川税務署所得税第三部門統轄国税調査官伊東康雄(以下「伊東」という。)から被告人の過去三か年分の確定申告(特に、年度は明示されなくても、それは過去三か年分、すなわち昭和五四年分から昭和五六年分までを対象とするとの理解が相互にあった。)について過少申告の疑いがあるから同部門上席国税調査官吉田敏雄(以下(吉田)という。)とともに、右各申告にかかる所得金額及び税額が正しいか否かについて調査するように命ぜられた。
そこで、市田は、被告人の昭和五四年分から昭和五六年分までの確定申告書や同署にある関係資料等を検討した結果、昭和五四年分については、関係資料上その売上金額が約六〇〇〇万円あり、同業者の所得率が一割以上であることからみて、被告人の同年分の所得金額は約六〇〇万円以上になると推定されるのに、被告人は同年分の所得金額を前記のとおり三五三万二〇〇〇円と申告しており、過少申告の疑いがあると判断した。
市田らは、いわゆる臨宅調査をすることを決めたところ、被告人が中川民商の会員であり、事前に調査に赴くことを連絡すると、同民商の会員などが立会し、調査ができなくなることをおそれ、事前に連絡することなく、七月一五日ころ、被告人方に赴いたが、被告人が不在であったため、在宅していた被告人の妻浅井美惠子(以下「美惠子」という。)に対し、身分証明書と質問検査章とを掲示し、「五四年から五六年の所得税の調査でお邪魔しました」と訪問の目的を告げた上、市田の氏名、所属、電話番号の記入された面接カードを手渡し、被告人に右面接カード記載の電話番号のところに電話連絡をしてもらいたい旨依頼して帰署した。
そして、市田は、被告人からの電話連絡を待っていたが、何ら連絡がなかったので、同月一九日頃、被告人方へ電話をかけ、電話口に出た美惠子に対し、「被告人本人から電話をしてほしい」旨再度依頼したところ、翌二〇日ころ被告人から電話があり、「なんで調査に来るんた」などと言われたので、「昭和五四年分から昭和五六年分まで所得金額の確認です。一度会う機会をつくって欲しい」旨説明して臨宅調査への協力を依頼したが、被告人は、「忙しい。忙しい。なかなか時間がとれない。また連絡する」などと言うだけであった。
次いで市田は、同月二九日ころ、美惠子から電話で「調査はお盆過ぎにして欲しい」旨言われたので、「もう少し早くして欲しい」旨説得したが、美惠子がこれを承諾しなかったため、右申出を受入ることにした。
しかし、市田は、八月二〇日を過ぎても被告人から何らの連絡もなかったので、同月二三日ころ、被告人方へ電話をかけ、電話口に出た美惠子に対し、「もうお盆も大分過ぎましたし、どうなっていますか」と尋ねたところ、美惠子は、「本人に聞いてから」なとと言うのみであった。そして、市田は、同月二五日ころになって、美惠子から電話で「九月二一日午後一時半に来て欲しい」旨言われたが、最初の臨宅調査で被告人方に赴いてから既に一か月以上経過し、また、指定日が更に約一か月後であったため、美惠子に対し、「もう少し早い期日にならないかどうか、もう一度本人に聞いて連絡して欲しい」旨依頼したが、何らの連絡もなかったので、八月二七日ころ、再び被告人方へ電話をしたところ、美惠子から「一度決めた日時だから変えられない」などと言われたため、「九月二一日午後一時半にお邪魔します」と言って、その旨の約束をした。
(三) 市田は、右約束に基づき、九月二一日午後一時三〇分ころ、吉田とともに臨宅調査のため被告人方へ赴いた。被告人方には被告人のほか中川民商の会員が数名いた。市田は、被告人に対し、身分証明書と質問検査章とを提示した上、「五四年、五五年、五六年の所得税の調査でお邪魔した」「その申告の基になった書類を見せて欲しい」旨言ったところ、被告人が、「そういうものはない」と答えるので、更に「売上げとか仕入れとかはどうやって計算していますか」と尋ねたところ、被告人は、「売上は一年にそう何軒も工事するわけじゃないから覚えている」旨答えた。そこで吉田が、被告人に対し請負契約書、見積書、仕入れ関係の書類及び領収書等の書類の閲覧方を請求したところ、立会していた中川民商の会員ら及び被告人が、「ここらあたりの大工はそんなもの作っていない」「たくさんある納税者の中からなぜうちに来るのか」「調査に来た理由を言え」「資料を出したらどうだ」などと言って、質問検査権などを行使する理由とその資料の提示方を執拗に要求した。
これに対し、市田らは、資料の提示を拒否するとともに、質問検査権などを行使する理由として、「申告された所得金額が正しいかどうかを確認するためである」旨繰り返して述べ、右以外には特に理由を述べなかった。その後、四〇から五〇分程経過したころ、ようやく被告人から昭和五六年分の施主名四名とその各売上げ(なお、その合計は三六〇〇万円程となっていた。)が書き込まれたメモ書一枚を提示されたので、市田(その際、同人は右合計金額の誤りを指摘した。)は、これを調査書に書き写した上、更に被告人に対し、「調査年分としては昭和五四年と昭和五五年も入っているので、右両年の資料も出して欲しい」旨依頼したが、被告人は「思い出しておく」と言うだけであった。そこで市田らは、これ以上被告人方にいても調査の目的を達することができないと判断し、被告人に対し「五四年分と五五年分のメモも今月中くらいに送付して下さい」と依頼して帰署した。なお市田は、帰り際に立会していた石田康司から「調査には協力するので勝手に反面調査をやってもらっては困る」旨言われたが、「必要があれば反面調査はやる」旨答えて帰った。
(四) 市田は、帰署後、伊東に被告人方における税務調査の結果等を報告し、その結果、伊東から金融機関等に対する反面調査を行うよう指示されたので、翌二二日ころ、協和銀行下之一色支店と中京相互銀行下之一色支店とで反面調査をした。
(五) 市田は、本件の事件当日である一〇月六日午前一〇時過ぎころ、所得税法二三四条一項三号に基づく反面調査を行うため(なお、事前の連絡はしなかった。)、下之一色農協に赴き、組合長、参事が不在であったため業務課長の石畑に対し、身分証明書と質問検査章とを提示した上、「お宅の預金者の調査でお邪魔しました」と来意を告げて、同人の案内で農協(事務所)第二応接室の応接用ソファーに座り、石畑に対し、中川税務署長作成名義の「金融機関の預貯金等の調査証」及び添付の別紙(預金者名として浅井豊秋、同美惠子、同恒夫、同清一、同秋夫、同純子、同慎也の氏名が記載されたもの。)を提示して、被告人ら右七名に関する現在の預金残高の打ち出しを依頼するとともに、被告人や中川民商の会員らが農協へ押し掛けて反面調査に支障をきたすことを危惧し、被告人に連絡させてほしい旨申し出る石畑に対して、「被告人への連絡は困る」「どうしても連絡するなら調査を終えて帰ってからにしてもらいたい」旨説得した。
石畑は、下之一色農協においては従前から原則として反面調査に協力していた(なお、事前に預金者に連絡して了解を得るということもしていなかった)ので、市田の反面調査に応じることにし、右応接室を出て、電算機のオペレーターに対し、被告人ら七名名義の預金残高の照会方を指示した上、第一応接室に入って、来店していた顧客の対応をしていたが、かつて下之一色農協において、被告人に連絡することなく反面調査に応じたために、被告人との間でトラブルを生じたことがある旨聞いていた上、当日、組合長、参事が不在であったこともあって、被告人に連絡してその了解を得て反面調査に応じるのが最善であると考え、右顧客との応対を一時中断して被告人方に電話をかけたところ、電話に出た被告人の長男の嫁から被告人と美惠子が留守である旨知らされたため、被告人方作業場に電話をかけたが、電話にだれも出なかった。
そこで石畑は、バイクで右作業場に赴いたところ、被告人は不在であったが、同所に美惠子がいたのて、同女に対し、「税務署の調査が入ったので預金に関する書類を提出させてもらう」旨述べて、同女の了解を得、すぐ農協に帰った。次いで石畑は、被告人から農協に電話があったので、被告人に対し、「税務調査に来ているから書類を見せますよ」などと伝えたところ、被告人は、「いいよ」と言って一旦は了承したものの、税務署員に電話を代わってくれとの要求を断られるや、「みせてもらっては困る」と言いだしたので、石畑は、被告人に対し、「いっぺん説得してみるからちょっとお待ち下さい」「農協に来てもらっては困りますよ」と言って、電話を切った。その後、石畑は、第一応接室に入り前記顧客の応対をし、同顧客の帰ったのち、被告人らの現在の預金残高を打ち出した取引先照会票を持って市田のいる第二応接室に向かった。
市田は、第二応接室備付けの応接用ソファーに座って、右取引先照会票の手渡されるのを待っていたが、石畑が同日午前一〇時五〇分ころ、右取引先照会票を手にしながら、同応接室に入って来たので、「打出票はできましたか」と質問したところ、石畑がそれに返答することなく、「過去にトラブルがあったから被告人に連絡させて欲しい」「私の方で被告人に電話をするから、あなたがその電話に出て被告人を納得させてもらいたい」旨言い出した。そこで市田は、石畑に対し、「私が電話で話しをしても納得するはずはありませんし、それはできません」「浅井さん本人の了解がなければ協力をしていただけないんですか」なとと話して、右資料の提示に協力するよう説得していたところ、被告人が突然農協にやって来て、前判示の暴行に及んだ。
なお、石畑は、市田に対し、右のとおり被告人の納得を得るよう申し入れたものの、市田がこれに応じてくれなければ取引先照会票を同人に渡されないとまでは考えておらず、同人が右申入れに応じてくれなかった場合、最終的には右取引先照会票を提出する考えであり、また、市田は右取引先照会票の提示を得た上で被告人の預金を確認し、入出金の調査に入る予定であったが、被告人から前判示の暴行を受けたため、とても調査できる状態でないと判断して帰署した。
(六) 被告人の昭和五四年分から昭和五六年分までの所得税に関しては、その後いずれも中川税務署長により更正処分がなされたが、被告人はそれらに対し異議の申立てをしなかった。以上の事実を認めることができる。
被告人及び証人石田康司の当公判廷における各供述などのうち、以上の認定に抵触する部分はいずれも措信することができない。
ところで、所得税法二三四条一項の規定は、その法意に徴し、国税庁、国税局又は税務署の調査権限を有する職員において、当該調査の目的、調査すべき事項、申告等の内容、帳簿等の記入保存状況、相手方の事業の形態等諸般の具体的事情にかんがみ、所得税に関し調査を必要とする客観的理由の存する場合には、同項所定の質問又は検査を行う権限を認めたものであり、そして右理由が具体的事情によって肯定される限り、その対象者を同項一号所定の者に限定するか、又は三号所定の者にまで及ぼすか、その順序、方法等をどのようにするかなど実定法上特段の定めのない実施の細目については、当該調査の必要性と相手方の私的利益とを比較衡量し、社会通念上相当な範囲内である限り、権限ある税務職員の合理的選択に委ねられているものと解するのが相当である。それゆえ、三号の反面調査が一号の臨宅調査の補充的規定であって、後者の調査が不可能な場合に限り前者の調査が許されるものと解すべきではなく、また、実施日時場所の事前通知、調査理由の個別的、具体的告知などについても、それらが法律上一律の要件として要求されているものということはできない(最高裁第三小法廷昭和四八年七月一〇日決定、東京高裁昭和五〇年三月二五日判決など各参照)。
以上の見地に立って本件をみるに、前記認定の事実によれば、被告人の昭和五四年分の申告所得金額は、資料上の根拠のほかその申告内容、前記の臨宅調査に至るまで及び右調査時における被告人の対応状況、被告人の事業の形態等諸般の具体的事情にかんがみ、過少申告の疑いがあって、その申告内容の真偽などについて反面調査を必要とする客観的理由が存したことは明らかであり、また、昭和五五年分及び昭和五六年分の各申告所得金額についても、その各申告内容、事業規模の同一性・継続性、前記の臨宅調査に至るまで及び右調査時における被告人の応対状況、被告人の事業の形態等諸般の具体的事情にかんがみ、昭和五四年分と同様過少申告の疑いがあって、これらについてもその各申告内容の真偽などについて反面調査を必要とする客観的理由が存したというべきである。更に本件の反面調査を必要とした具体的事情などについて補足すると、市田は、昭和五七年七月一五日ころ被告人方を訪れたのをはじめとし、以後、同年八月二七日ころまでの間何回かにわたって被告人や美惠子と電話で連絡を取り合い、ようやく被告人の了解を得て、同年九月二一日吉田とともに被告人方を訪れ臨宅調査を実施したが、被告人や立会人がここらあたりの大工は売上げや仕入れに係る書類等は作っていない旨言って関係書類の提出を拒むとともに、調査理由の告知や資料の提示などを執拗に求めるため、十分調査ができず、ようやく被告人が提出した資料も昭和五六年中に完成させた工事の施主名四名とその各工事の金額が記載されている被告人作成のメモ用紙一枚にすぎない状況であり、そして被告人は、調査に協力するとは述べるものの、被告人のその日の言動や従前の経緯などに照らすと、今後の協力も右程度のものにすぎないことが予測され、臨宅調査のみでは昭和五四年分から昭和五六年分までの各所得金額を確定することが著しく困難な状況にあったとみられる(なお市田は、被告人方の臨宅調査をするに当たり、調査理由として前記のとおり申告された所得金額の確認とのみ告知しているにすぎないが、それまでの経緯、当日の状況などに照らし、本件では右程度の告知であっても、それが税務職員の合理的選択の範囲を逸脱したものとはいえない。)こと、本件のように所得金額に過少申告の疑いのある場合には、金融機関に対する預金等の状況について把握する必要性が一般的に肯認されること、前記のとおり、下之一色農協は従前から反面調査に協力してきており、本件事件の当日も、市田は、当日の最高責任者というべき石畑に来意を告げ、その了解のもとに被告人らの預金残高の打ち出しを依頼し、その結果を待っていたこと、市田の右調査は下之一色農協の平常の業務に著しい支障を来すものではなかったこと、農協側から、市田に対し調査の具体的理由の開示を求める要求はなかったこと等を総合考察すると、本件の反面調査は、これを必要とする客観的理由があった上、その具体的行使の方法、態様などに照らし、農協の私的利益との比較衡量をしても社会通念上相当な範囲内にとどまるものであって、右調査は全体として権限ある税務職員の合理的選択の範囲内にあったと認めるのが相当である。そしてこの判断は、石畑が預金者の秘密保持という下之一色農協の利益と税務署の調査との調和を図るため苦慮したことを考慮にいれても、いまだ左右されない。
以上のとおりであって、本件の反面調査は、何ら違法視すべきかどがなくこれが公務執行妨害罪にいう公務として保護されるべきことはいうまでもない。
4 公務不存在の主張(弁護人岩月浩二作成の弁論要旨(五))について
弁護人は、本件当時、市田は、いまだ公務の執行に従事していなかった、すなわち、市田が公務の執行に従事していたというためには、市田が所得税法二三四条一項所定の質問若しくは検査のいずれかに従事していたことが必要であるところ、被告人が農協に着いた際、市田は右質問若しくは検査を全くしていな状況にあって、いまだ公務の執行に着手していなかった旨主張する。
しかしながら、前記認定のとおり、市田は、被告人の所得税調査を担当していたところ、事件当日、反面調査を実施するために下之一色農協を訪れ、来意を告げて石畑に対し被告人らの預金残高の打ち出しを依頼し(石畑はこれに応じて係員にその打ち出しを指示した。)、農協第二応接室でその資料の提出を待ち、更には石畑にその資料の提示を説得などしていたのであったから、既に右調査(検査)に着手したというを妨げない状況にあったというべきところ、この状況下で、被告人は前判示の暴行に及んでいるのであるから、本件において、保護されるべき公務が存在したことは明らかである。
5 故意がない旨の主張(弁護人岩月浩二作成の弁論要旨(五))について
弁護人は、被告人には公務の認識がなく、したがって、公務執行妨害罪の故意がなかった旨主張する。
しかしながら、前掲関係各証拠によると、被告人は、犯行前、下之一色農協に電話したところ、石畑から「税務調査に来ているから書類を見せますよ」と言われるなどした後、農協にかけつけた上、第二応接室の応接用ソファーに石畑と市田が座って会見しているのを認めるや、市田のところに近づき、「人の財産を勝手に調べやがって何だ」と大声を出して前判示の暴行に及んでいることなどに照らすと、被告人が、少なくとも、市田において被告人らの預金状況などの調査に従事中であるのを認識していたことは明らかであり、それゆえ、被告人に公務の認識がなかったとは到底考えられない。
6 違法性の認識がなかった旨の主張(弁護人岩月浩二作成の弁論要旨(五))について
弁護人は、被告人は、自己が調査に協力する限り反面調査をすることは許されないと認識していたところ、仮に被告人の右認識が法律的に正しくなかったとしても、被告人にはそう信ずるにつき相当な理由があったというべきであるから、被告人には違法性の認識がなく、故意は阻却されるべきである旨主張する。
しかしながら、前掲関係各証拠に徴し、被告人が弁護人主張のような認識をもって前判示の暴行に及んだとは認められない上、仮に、弁護人主張のような認識を有していたとしても、本件でそのように認識したことを相当とするような事情は見いだすことができない。それゆえ、本件は違法性の認識を欠いたことにつき相当な理由が存する場合には当たらない。
7 被害者が受傷しなかった旨の主張(弁護人三浦和人作成の弁論要旨(七))について
検察官は、被告人の暴行により「市田が全治約五日間を要する前胸部打撲傷の傷害を負った」旨を、一方弁護人はその事実は存在しなかった旨をそれぞれ主張するところ、この点については、以下に説明するとおりその犯罪の証明がないというべきである。
すなわち、前掲関係各証拠に医師佐藤三郎作成の労災保険診療録などを加えて考察すると、なるほど、市田は、本件事件後、直ちに帰署し、同日(昭和五七年一〇月六日)午前一一時五三分ころ、佐藤病院を訪れ、医師佐藤三郎の診察を受けたこと、そして同医師は、証人として当公判廷において、市田を診察した際、市田の前胸部から前頸部にかけて縦横約七センチメートルぐらいの発赤があり、市田がそこがひりひりし圧痛を覚えると訴えていたので、患部にソフラチュール軟膏を塗布してその上から湿布したこと、及び市田の右発赤は翌七日、八日に診察した際にも見られた旨供述していること、更に市田も、証人として当公判廷において、被告人の暴行によって右箇所に発赤を生じ、そこがひりひりし圧痛を覚えた旨供述していることなどが認められる。
しかしながら、更に前記各証拠に証人古川昭八郎の当公判廷における供述などを加えて検討すると、事件当日の午後四時ころ、愛知県中川警察署で市田の前胸部から前頸部を撮影した写真には、患部の湿布を固定したばんそう膏の跡が左右に三本ずつくっきり赤く写っているのに、患部と称する箇所には発赤があると確認するに十分でないこと、「全治約五日間」という治療日数は、佐藤医師によるも、右膝部打撲傷(市田の右受傷は、検察官において主張しない旨釈明している。)を念頭に置いたものであること、その他弁護人が弁論要旨(七)の第二の三から五に指摘する諸点を加えると、被告人の前判示の暴行により前胸部打撲傷が生じたと認めるには合理的な疑いが残るといわざるを得ない。その他本件において、右傷害の発生を裏付けるに足りる証拠もないから、結局、右傷害の点についてはその犯罪の証明がないことに帰着する。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法九五条一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役五月に処し、なお、情状に照らし同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により証人市田正大、同石畑裕作及び同伊東康雄に各支給した分を被告人に負担させることとする。
なお本件公訴事実中、被告人が市田に対し全治約五日間を要する前胸部打撲傷の傷害を負わせたとの点は前説示のとおり犯罪の証明がないが、右は一罪の一部として起訴されたものであるから、主文において特に無罪の言渡しをしない。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鈴木高夫 裁判官 澤田経夫 裁判官 村木保裕)